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ヘイスティングズ () はアメリカ合衆国の競走馬、および種牡馬。1896年のベルモントステークス優勝馬で、種牡馬となったあとに2度の北アメリカリーディングサイアーの座に輝いた。アメリカ殿堂馬フェアプレイの父、同じく殿堂馬マンノウォーの祖父にあたる馬でもある。 == 経歴 == 父はベルモントステークス優勝馬のスペンドスリフト、母はトマホーク産駒〔シンデレラの父とされる馬はトマホーク (Tomahawk) であるが、ブルールーイン (Blue Ruin) という馬が父であるとされる場合がある。いくつかの文献中には、シンデレラの父が「Tomahawk or Blue Ruin」となっており、ジェネラルスタッドブックでも第16巻306ページにおいて「Blue Ruin or Tomahawk」と表記されている。〕のシンデレラである。半弟にケンタッキーダービー馬のプラウディット(父ヒムヤー)がいる。 ヘイスティングズはイヤリングセールで売りに出され、デイビッド・ギデオンらに2800ドルで購入された。そしてニューヨークで2歳から競走を開始、いくつかの競走で勝ったあとにセリに出され、オーガスト・ベルモント Jr. に37000ドルで購入された。以後ベルモントのもとで、サラトガ競馬場を拠点に競走を続けていくことになるのだが、サラトガに輸送されたあとに病を患い、売却後初戦のフューチュリティステークスは5着と期待通りにはいかなかった。 しかし3歳時の大一番になって、ヘイスティングズは真価を発揮した。ウィザーズステークスではハンドスプリングにアタマ差で2着に敗れたが、最大目標のベルモントステークスでは同馬を逆にアタマ差抑えて優勝、父子でのベルモントステークス制覇を達成した。この年はこのほかにも、トボガンハンデキャップで古馬を相手に勝利している。 4歳時は最高で140ポンドもの過酷な斤量に加え、同期のケンタッキーダービー馬ベンブラッシュという強敵の存在もあって2着に終わることが多かったが、それでも12戦して4勝(同着1回を含む)の成績を残した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヘイスティングズ (競走馬)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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